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いえなかったが、疲労しにくい泳法として、多くの人々に受け入れられた。30年間の指導実演をグーツムーツは、1798年に『水泳技術自習教本』に集約し出版した。
その後、しばらく背泳ぎ泳法の特筆すべき変化は記録に残っていない。そのため、「一般大衆の背泳ぎ」が長い間、背泳ぎの代名詞として受け継がれたと思われる。
1878年には、ライプチヒの水泳教師ヘルマン・ラデベック(Hemann Radebeck)は、その著書『ラデベックの水泳教室』の中で、初心者の指導には、背泳ぎが適切な泳法であるとした。ラデベックの指した背泳ぎも「一般大衆の背泳ぎ」であった可能性は高い。
初心者指導の導入として背泳ぎが用いられることは、現在でも行われており、仰向けでスムースに呼吸ができ、水への不快な印象を軽減させることができるため、有効であるとされている。

3. 我が国における背泳ぎの歴史

国土を海に囲まれた我が国では、古くから水泳が親しまれてきたことが『魏志倭人伝』や『古事記』に伝えられている。仰向けで浮くことも太古の昔から行われてきたとされるが、そのよりどころとなる文献は発見されていない。また、我が国の水泳は、主に武芸や水術の一環として軍事目的で発展してきた過程を経ているため、創始年代や詳しい内容について秘密裏にされることが多かった。
現代に伝わる日本泳法は12流派に分けられ、創始年および流派名はそれぞれ次のようになっている。1498年神統流、1582年向井流、1617年神伝流、1619年小池流、1643年水任流、1669年野島流、1688年水府流、1704年小堀流、1710年岩倉流、1822年山内流、1853年観海流、1878年水府流太田派。
多くの流派に、背泳ぎと深いかかわりをもつ技が継承されている。例えば、浮き身や手足搦、連転、仰泳、熨斗、背伸など上を向いて休む目的の泳ぎ、進む泳ぎがあり、その中でも特に、浮き身の一つ「枯れ木流(裏)(写真2)」は、現在の背泳ぎのストリームライン姿勢に類似している。「手足搦(後進)(写真3)」に関しては、水中ドルフィンキック(バサロキック)の原型のようでもある。
小堀流水泳指南であった村岡伊太夫政文の子、小堀長順常春は、1756年『踏永訣』を書き著し、後に改訂版ともいえる『水練早合點』を著した。長順は背泳ぎについて「休游の事」の項で、「此游は、遠く游ぎて草臥たる時、暫く水上に休みてまた游ぎ出る時に用ひる也…(中略)手足動かさずとも暫く身をうねりて居れば沈まざるもの也……」と述べ、遠泳などで疲労した際に、休息を目的に背泳ぎを利用することを奨励した。

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写真2 枯木流(裏)白山源三郎:図解日本泳法、日賢出版(1975)より

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写真3 手足溺(夜進)

白山源三郎:図解日本泳法、日賢出版(1975)より

 

 

 

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